目次
■戦力チャート
【評価】
星5:★★★★★
■戦績(2024年5月時点)
27戦27勝0敗 24KO
(KO率88.9%)
■基本情報
名前:井上 尚弥
通称:モンスター
階級:スーパーバンタム級
身長:165cm
リーチ:171 cm
スタイル:オーソドックス
国籍:日本
誕生日:1993年4月10日
■獲得した主要なタイトル
・日本ライトフライ級王座
・WBO世界スーパーフライ級王座
・WBSS優勝
■どんな選手なのか?なんとなく選手解説
・アマチュア時代
①
*元アマチュアボクサーだった父・真吾氏の影響で小学校1年生の時にボクシングを始める。
初めて試合に出場したのは小学校6年生の時で、中学生相手にKO勝利をするなど当時から異才を放っていた。
②
*高校生3年生の時に、高校生では当時日本最多のアマチュア大会7冠を達成。
③
*2012年に大橋ボクシングジムに入門。井上尚弥本人の希望により、契約の中に「強い選手と戦う。弱い選手とは戦わない。」という条件を盛り込んだ。
④
*プロテストの実技試験で現役日本チャンピオンと戦うことになる(通常はテスト受験者同士でのスパーリング)。
しかも、当時プロでもない井上尚弥が現役日本チャンピオンを圧倒してプロテストの試験に合格する。
相手をさせられた当時の日本チャンピオンが可哀想。
・ライトフライ級時代
①
*デビュー戦はミニマム級のフィリピン国内王者と対戦し4ラウンドKOで圧勝。
デビュー戦での井上尚弥のあまりの強さに、次戦対戦予定だった選手に対戦をキャンセルされてしまう。
さっそくプロ2戦目から対戦相手探しが難航してしまう状況に。
②
*プロ第2戦はライトフライ級のタイの国内王者と対戦。
この試合でトレーナーである父・真吾氏から「課題を見つけるために早いラウンドでは倒すな」と指示を出されていたが、おもわず出てしまったようなカウンター1発で相手を粉砕してしまい、わずか1ラウンドでKO勝ちしてしまう。
③
*当時国内最短タイ記録であるプロ4戦目で日本王者に輝く。
④
*当時国内最短タイ記録であるプロ5戦目でOPBF東洋太平洋王座を獲得する。
⑤
*プロ6戦目で世界初挑戦。
試合の前にインフルエンザにかかったり、減量苦の影響で試合中に足がつったりと最悪のコンディションのなか6ラウンドTKO勝ち。
当時日本人最短記録の6戦目で世界王者を獲得。
・スーパーフライ級時代
①
*ライトフライ級では減量が厳しいことから、プロ第8戦目でスーパーフライ級に転級。
転級初戦の相手は、プロアマ150戦以上の試合の中で一度もダウンしたことが無く、スーパーフライ級以下では14年間無敗の正真正銘のレジェンドであるオマールナルバエス。
フライ級を飛ばして2つも階級を上げたうえに、対戦相手がナルバエスになったことで周囲からは「時期尚早」「さすがに勝てない」と言われていたが、いざ試合が始まると1ラウンドから2回ダウンを奪い、2ラウンド目でKOする圧倒っぷり。
あまりの強さに、試合終了とともにナルバエス陣営のスタッフに「グローブに鉛か何か仕込んでいるだろ!!」と詰め寄られ、リング上でグローブを外して不正がない事を確認させる事態に発展。
なにも不正がないことがわかったナルバエス陣営は気まずそうな顔をしながら「グレートなニューチャンプだ!」を声をかけたそうな。
この試合での勝利により当時世界最速のフライ級を飛び級しての2階級制覇を達成。
ちなみにナルバエスは、井上尚弥が9歳の時からずっと世界チャンピオンであり、この試合も当たり前に勝つ気満々だったため息子をリングサイドに連れてきていたが大敗してしまい、初めてボロ負けする父親を目の当たりにして息子は大号泣してしまったとのこと。
偶然にもナルバエスの息子の年齢も当時9歳であり、現在父の指導受けプロボクサーを目指しているとのこと。
もしかすると将来、自分の父親を倒し、自分が9歳の時からずっと世界チャンピオンである井上尚弥と対戦するという、とんでもないストーリーが生まれるかもしれない・・・。
②
*プロ10戦目、2度目のWBO王座防衛戦で同級1位のデビット・カルモナと対戦。
試合中に右の拳を負傷してしまい、途中から左手だけで戦いうも、今度は左手も負傷。
それでも試合を支配し続け、3-0の判定勝ちを収める。
両拳を怪我しても勝っちゃうのスゴ過ぎ。
・バンタム級時代
①
*スーパーフライ級でも減量が厳しくなってきたことから、プロ16戦目でバンタム級へ転級。
転級初戦でいきなり、身長175cm、リーチ182cmとバンタム級でも大柄なサイズを誇るWBAレギュラー王者のジェイミーマクドネルと対戦。
マクドネルは試合前から「井上尚弥?聞いたことないね」と挑発したり、前日計量に1時間も遅刻してきた上に謝罪もしなかったりと、モンスターを怒らせたのが仇なってか、初回からボッコボコに猛ラッシュを浴びてわずか1ラウンドでKOされてしまう。
この試合で日本人最速の3階級制覇を達成。
②
*プロ17戦目でファンカルロスパヤノと対戦。
この試合はWBSSという、簡単に言えば階級世界最強を決定するための大会の1回戦として行われた。
WBSSは大会運営者に認められた実力のある選手8人しか出場することができない大会なので、もちろんパヤノも相当な実力者(元世界チャンピオン)であるが、この試合で井上尚弥が放ったパンチはたった3発。
流れの中で放った1発のジャブのあと、井上尚哉の高速のワンツーがパヤノの顔面を捉え、わずか70秒でKO勝ちを収めたのである。
この試合はリングマガジン ノックアウト・オブ・ザ・イヤーを受賞し、井上尚弥本人もこの試合を自身のベストバウトにあげている。
余談ではあるが、この試合の解説を務めていた山中慎介は、たった70秒で試合が終わってしまったために試合中に発した言葉は「よろしくお願いします」のみになってしまい、のちに山中慎介の「よろしくお願いします事件」として某番組で取り上げられることになる。
③
*プロ18戦目でエマヌエルロドリゲスと対戦。
WBSS2回戦(準決勝)として行われた。ロドリゲスは当時IBF世界王者で全勝無敗と相当な実力者であり事実上のWBSS決勝戦と評される程であった。しかし、公開練習の際にロドリゲス陣営のスタッフが、ルール通りに練習を視察をしていただけの井上の父・真吾氏を突き飛ばすなど横暴な態度をとってしまったことからモンスターの逆鱗に触れてしまうことに・・・。
モンスターの怒りを買ったロドリゲスは猛ラッシュを喰らってたった2ラウンドでマットに沈められてしまいましたとさ。
④
*プロ19戦目でノニトドネアと対戦。WBSS決勝戦として行われた。
「閃光」の異名をもつ元5階級制覇王者のドネアの実力は本物で、2ラウンド目にドネアの左フックが井上尚弥にクリーンヒット。
この一発で右目眼窩底骨と鼻骨を骨折した上に、右目まぶたを深くカットし大量に出血してしまう。
これ以降はドネアが2重にぼやけて見えていたとのこと。
これだけのハンデを負いながらもドネアに主導権を渡すことなく、11ラウンド目にはダウンを奪っての3-0判定勝ちを収めた。
さいたまスーパーアリーナで行われたこの激闘は「ドラマインさいたま」と称され、リングマガジン ファイト・オブ・ザ・イヤーを受賞すると共に、井上尚弥が最も苦戦した試合として語り継がれている。
⑤
*プロ20戦目でジェイソンモロニーと対戦。
ボクシングの聖地ラスベガスでのデビュー戦となった。
試合中に足がつってスッテプワークを使った攻撃が難しいと判断した井上尚弥は途中からカウンター狙いの戦法に切り替え、見事7ラウンドでKO勝ちを収めている。
ちなみにモロニーは当時WBO世界バンタム級1位、WBA同級3位で、後にWBO世界王者になる超実力者であり、このレベルの選手でもハンデ有で簡単に倒してしまう井上尚弥はまさにモンスターである。
⑥
*プロ23戦目に19戦目で戦ったノニトドネアと2年7か月ぶりに再び対戦。
試合前には、前回(井上尚弥にしては)かなり苦戦させられたことと、ドネアがこの対戦の前に全勝無敗の選手を2人倒してWBC世界王者に返り咲いていたことから、今回も井上尚弥は苦戦するのではないかとの予想が大半を占めていた。
しかし井上尚弥本人は「今回はドラマにはしない」と、「ドラマインさいたま」と称された前回の試合とは違い、今回は圧倒すると宣言。
いざ試合が始まってみると井上尚弥の宣言通り、1ラウンド目にドネアからダウンを奪い、2ラウンド目には一方的にドネアを滅多打ちにして井上尚弥がKOで圧倒的に勝利。
この試合で日本人初の3団体統一世界王者となったと同時に、世界で最も権威のあるアメリカボクシング専門雑誌の「ザ・リング」が格付けするパウンド・フォー・パウンド・ランキング、簡単に言えば全てのボクサーの中で誰が一番すごいのかランキングで1位を獲得。
⑦
*プロ24戦目にバンタム級主要4団体の最後のベルトを持ったWBO世界王者のポールバトラーと対戦。
世界王者同士の4団体統一戦だったにも関わらず試合前の予想では、バトラーでは井上尚弥と勝負にならないとの意見が大半で、スポーツベッティング(スポーツ賭博)でも井上勝利が1.01倍、バトラー勝利が約15倍とまったく賭けが成立しない状況になってしまう。
試合結果はというと、防御を固めながらサークリングを徹底するバトラーを井上尚弥があの手この手で攻め立てて、11ラウンド目にバトラーが力尽きてのKO勝利という前評判通りの圧倒劇となった。
この試合で井上尚弥は、今までの世界のボクシングの歴史の中でも当時8人しか達成しておらず、アジア人としては初となる主要4団体統一王者になった。
ちなみに、当時の世界王者から1つづつベルトを奪取し、尚且つ全てKO勝利で4団体を統一したのは井上尚弥が史上初である。
・スーパーバンタム級時代
①
*バンタム級での減量も厳しくなってきたことと、戦いたい程の強い相手がもういないという理由からプロ25戦目からスーパーバンタム級に転級。
転級初戦でいきなりWBC・WBO2団体統一王者で当時階級最強と言われていたスティーブンフルトンと対戦。
フルトンはボクシングの本場アメリカでもかなり評価が高く、アメリカでは勝敗予想が半々に分かれるほどであった。
しかし、試合の注目度や相手の強さに応じてあからさまにパフォーマンスの上がる井上尚弥は、アウトボクシングのスペシャリストのフルトンにほとんどポイントを与えずに試合を支配し、8ラウンド目にKOでフィニッシュするという、ファンの想像を超える完璧な勝ち方をしてみせた。
この試合で4階級制覇とスーパーバンタム級2団体統一を達成。
②
*プロ26戦目でスーパーバンタム級の主要4団体残り2本のベルトを持つマーロンタパレスと対戦。
本来であればフルトンと並んで階級最強と言われていた、元2団体統一王者のムロジョンアフマダリエフという選手との対戦をファンは熱望していたが、タパレスがムロジョン相手に大金星をあげて勝利したため、タパレスが井上尚弥と4団体統一戦を行うという運びになったのである。
試合結果は井上尚弥の10ラウンドKO勝利。
そこまで評価の高くない選手との対戦になったことでファンとしては少々ガッカリな展開にはなってしまったが、井上尚弥へ何発かパンチをヒットさせたり、巧みなディフェンス技術で攻撃に耐えたりと、2団体統一王者は伊達じゃないとタパレスは証明してみせた。
逆に世界的な知名度はそれほど高くなかったタパレス相手に10ラウンドまで戦った井上尚弥は「思ったより苦戦した」と評価されてしまう始末。
しかし、普通に考えて2団体統一王者相手に数発しかヒットをもらわず、ほぼフルマークで試合を支配した上にKOで勝利して「苦戦した」と評価されるのは、はっきりいって異常である。
まあそれ程井上尚弥の世界的な評価が高いとも言えるのだが・・・。
この試合でバンタム級での4団体統一からわずか1年、転級初戦からわずか5か月でボクシング史上2人目となる2階級での4団体統一王者を達成。
③
*プロ27戦目にルイス・ネリと対戦。
この試合は東京ドームでの開催となった。
過去に東京ドームでボクシングのイベントが開催されたのは、1990年にマイク・タイソン対ジェームス・ダグラスをメインイベントに据えた興行の1度っきりで、実に34年ぶりの東京ドーム開催となった。
メインイベント含め4つの世界戦が組まれたことと、井上尚弥の対戦相手が日本では「悪童」として有名なルイス・ネリになったことがさらに試合を盛り上げる要因となり、観客動員数は4万3000人を超え、間違いなく日本ボクシングの歴史上で最大のボクシングイベントとなった。
(ルイス・ネリの詳細についてはこちら)
戦前の評価としては、ネリは当時36戦35勝27KOと凄まじい成績を残していたものの、なんだかんだ井上尚弥が圧勝するという意見が大半であった。
しかし試合が始まってみると、今までのキャリアの中で一度もダウン経験の無い井上尚弥が1ラウンド目にネリの左フックを受けてダウンしてしまうという、波乱の展開からスタートしてしまう。
誰もが34年前のマイク・タイソンまさかの敗戦という世紀の大番狂わせが頭をよぎり、「もしかしたらモンスターが負けてしまうのではないか」と連想してしまった瞬間であった。
だがそんなファンの心配とは裏腹に、ダウンから立ち上がった井上尚弥は冷静さを取り戻したかのように相手の攻撃を避け、自分の攻撃だけを当てるパーフェクトボクシングを展開し始め、2ラウンドと5ラウンドにネリからダウンを奪い返した後、6ラウンドにネリをロープまで吹き飛ばす右ストレートで3度目のダウンを取ったところでTKO勝利となった。
初回にダウンをしてしまったものの、ダウンから立ち上がった後の怪物的なパフォーマンスが評価され、「ザ・リング」誌のパウンド・フォー・パウンドランキングにて、2022年6月以来、2度目の1位に選出された。
■感想
はい出ましたね。モンスターこと井上尚弥さんです。
今更解説するまでもないスーパースター。
文句の付けようのない圧倒的強さを誇る選手です。
今まで獲得したタイトルや賞は数知れず
戦力チャートはオール10と
完璧言っても過言ではない
とてもバランスの取れた
というか、全ての能力がズバ抜けた選手ですねー。
派手なKO勝ちと支配的な試合運びで
初心者でもわかりやすい圧倒的な勝ち方をするので
もしボクシングを見るのが初めてで
誰の試合を見たらいいかわからないという人がいれば
井上尚弥の試合を見てみることを
激しくオススメします!
あなたのボクシング熱を上昇させてくれること
間違いなしです!
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